剣の先に映るもの:序章



序章 「一本! 勝負あり!!」
観客が鮮やかな一撃に息を飲む。
しかし一人たりとしてその試合の勝者である僕に拍手は送らない。
それも当然かもしれない。
何故なら彼らの目の前にいる少年、つまり僕は自分たちの通う道場へやってきた道場破りなのだから。
僕は回りの視線を感じながらあえて無視し、この道場で借りた防具を全て取った。
肌に触れる外気が心地よく感じる。
小さく息を吐き、手ぬぐいで軽く掻いた汗を拭った。
脱いだ防具を簡単にかたし、自分の唯一の持ち物である竹刀袋を担いでゆっくりと立ち上がると、僕は一人の老人の下へと歩み寄った。


ここにいたるまでの経緯を説明しなければならないだろう。

僕は最近何かと空虚な気持ちでいることが多かった。
理由は分かっている。
好敵手、もしくは楽しい敵に出会えないからだ。
剣道のみにかかわらず、武道において力の拮抗した相手と戦えないということは心に足りない何かを生じさせる。
そんな無為な日々をすごしていた者がとる道は二つに一つだ。
一つはいつ現れるかわからない好敵手を待つこと。
もう一つは自分からそれを探しに行くこと。
当然僕は受動的な行動をするなんてことは考えなかったし、だからこそ僕は強い相手を求める旅にでることにした。
日本各地を放浪して、道場があればそこで強い相手を求める。

そんな当日の食料の当てもない旅。
実を言うと僕がこの旅に出たのにはもう一つ理由があるのだが、今ここでそれを言っても詮無いことだ。
しかし僕がまだ十四歳という年齢のせいか、どの場所へ行ってもまともに取り合ってもらえない。
十四歳という年齢は普通なら中学校に通わなくてはいけない年齢なのだが、今のような空虚な気持ちのままでは学校など何の価値もないと思ったからだ。
実際何を聞かれても上の空で、真面目に受けようと努めても何も授業が頭に入らない。
加えて僕は、非常に不本意なのだが、生まれつき体つきが華奢で顔が中性釣な顔をしているせいか……女性に見られることがあるのだ。
いくつめかに訪ねた道場ではいきなり『お嬢さん』扱いされ、怒りのあまり道場自体を破壊してしまったことがある。
今考えると大人気ないことをした。

話を戻そう。
そして僕はこうして名も知らない土地を転々としてきた。
僕が今居るこの『清流道場』もその旅の過程の途中で見つけた、というわけだ。
この道場はなかなか活気があって稽古も盛んだったが、いかんせん覇気が足りない。
あれでは実戦のときになんの役に立つというのだろうか。
気合が無ければいくら切れ昧の鋭い日本刀でも斬ることは叶わないというのに……。
といっても僕が剣を振るうときは、常に自分の剣が活人の剣であるように心がけている。
僕がこのような他の道場に来たときには、剣道が礼儀作法を重んじ、相手を尊重して行う武道であるということで、何から何まで全て相手側にまかせている。
そういえば昔は看板を持っていく輩がいたらしいが、そんなことをしても僕にとっては荷物が多くなるだけなのでしていない。
燃やすという手段もないことはないのだが、そんなことをすれば二酸化炭素が増えてしまう。
地球混暖化に貢献するのはよろしくないだろう。
まあ、それは冗談として。

そういうわけで僕はこの道場へやってきて勝負を申し込んだのだ。
門下生全員と手合わせをしたのだが、なかなかに強い相手はいたものの、それは一般的な考えの下でのはなしであって、僕が満足できるような相手は居なかった。
ただ、一人だけ僕と剣を交えていない人が居た。
「……塔馬さん、でしたかな?」
目の前にいる病に臥せっている老人。
それがここの道場主、清流泉水であり、唯一僕が剣を交えていない相手だった。
その眼光は病に臥せっていても死ぬことなく僕を見据えている。
「はい、塔馬光といいます。……本当に残念です。もう少しでも早く貴方と会えていたなら。戦うことが出来たでしょうに……」
そうした僕を清流さんは鋭い眼光の中に柔らかな光をたたえた目で見据えた。
間違いない。この人は戦う者の心を持っている。
戦う意志とかそういうものではなく、そこから感じる正体のつかめない威圧感。
漠然とそうとしか表現できないが、そうした意志の力が失われていないのは、この死んだ道場でこの人だけだ。
「すまんが私もよる年波には勝てなくての…。もう手合わせすることは出来ないじゃろ……。ここにいる若者たちを教えるぐらいならともかく、君と本気で手合わせは体が持たん……」
そういわれた道場の門下生たちはこぶしを握り締めてうつむいた。
しかしその言葉は彼らにとってある意味での激励となるだろう。
世の中にはこうして乗り越えていかなければならない時がいくらでもあり、そういう時に得た物、悔しさとかそういったものが彼らを成長させるだろうから。
この程度でつぶれるようでは、所詮真面目に剣の道を歩んでいなかったということだ。
清流老人がそんなことを考えていた僕を見て、ゆっくりと口を開いた。
「塔馬さん……あなたはいったい何を探していらっしゃるのですかな?」
今までもそうだったが、このような人にあったときは必ずこの質問を投げかけられた。
その度に何故そのような質問をするのかと僕が問うと、いつも必ず君の顔にそう書いてあるという答えが返ってくる。
自分にはその自覚はまったくないのだが……このことはすこし反省しなければならないだろう。
武道家にとって表情で考えられていることを読まれるというのは未熟な証拠だ。
しかし、実際に探しているものがあるので、質問には答えなければならないだろう。
「僕は……強い相手を探しているんです。戦う強さでなく、心の強さを持つ相手。心の奥底にそれを眠らせている人でもいいんです。自分をもっと楽しませてくれる、いや、高いところまで連れて行ってくれる人を探しているんです。誰か……誰かそういった人に心当たりはありませんか?」
逆に答えが質問へと変わってしまった。
逆に問われたというのに清流老人はいやな顔一つせず、は少し思案すると、やがて思い出しながら言葉をつむぐようにゆっくりと話しだした。
「一人……そういう心当たりがいないこともないが……その男は数年前までここの道場におったのじゃが、ある日を境にぷっつりと来なくなってしまっての……今はここから数里離れた隣町に住んでおる。いってみたらどうじゃな? どうしてしまったかわしも興味があるのでな……」
耳寄りな情報だ。
この清流老人がそこまで言うのだから、その人物の強さは相当なものだろう。
「すいません。その男の名は?」
「自鳥……白鳥枯朝という……」
「……?」
どこかで聞いたことのある名前のような気がする……。
しかし、それを聞いたのがいったいどこでだったのか思い出せなかった。
「塔馬さん、そういえばもう一つお尋ねしたいのだが、よろしいかな?」
一宿一飯の恩というわけではないが、耳寄りな情報を貰った対価として出来る限り恩は返さなければならないだろう。
僕が小さく頷くと、清流老人は僕の胴着の脇にさされた竹刀袋を指差した。
「それはいったいなんなのかね? 竹刀にしても木刀にしても少し長いようじゃが……」
確かに僕の脇に指された竹刀袋は他人の注意を引くには十分すぎる代物だった。
長さだけで通常の竹刀の1.5倍はあるのだから。
僕はその問いにあえて答えず、黙ってその竹刀袋の紐を解き、中にあるものを取り出した。直後、その場の誰も目を見張った。
当然といえば当然かもしれない。
今まで竹刀や木刀を見たことはあったとしても、まさか本物の刀を眼前で見たものはそうそう多くはいないだろう。
ゆっくりと鞘から刀を抜く。
「傭前長船……僕の租父の形見です」
さすがの清流老人も言葉を失っていた。
二尺八寸のまっすぐ伸びた刀の刃は道場の窓から差し込む陽光を反射して美しく輝いている。
刃には一点の曇りもない。
まぎれもない名刀だ。
「僕がこの刀を持ち歩いて旅を続けているのは偉大なる祖父を忘れぬためです。あの祖父の気高い志を忘れないよう……ということです」
この刀を持っている理由を闘かれる前に答える。
竹刀袋に入っている理由は、何回か警察に銃刀法違反で捕まりそうになったことがあったという恥ずかしい過去に起因する。
もちろんその度に何とか誤魔化したが。
別の言葉を借りて言えば逃走したというかもしれない。
清流老人は落ち着きをとり戻すと、ため息を一つついた。
「……お行きなされ……。この道場には貴殿の求めるものはなかったかもしれん。しかしいつか貴殿の探しているものが見つかるでしょう。おごる心を持たず、常に弱者に優しく接し、かといって甘やかさず、自分の信じる道を失わないように。そして道に迷えるものがいたら救ってあげなさい。貴殿のできる限りのカで」
その言葉に僕は黙って頭を垂れる。
自分の道を信じること。祖父もよく言っていた。
僕は頭を上げ、刃を鞘にしまい竹刀袋に入れると、立ち上がって出口を目指した。
僕が道場を出ようとするとき、後ろから清流老人の呟きが聞こえた。
「貴殿は強い人を求めている。しかし、貴殿が最後に見つけるものは、それとは違うものかもしれんな……」
僕はその言葉にいったん歩みを止めるが、結局振り返らずに道場を出た。