剣の先に映るもの:一章



一章 「ここが紫陽花町か……」
清流老人の言葉を頼り、数里を歩いてきてみるとのどかな田舎の風景が目に入ってきた。
小川のそばの水車。秋の風に吹かれている田畑の作物。空高く飛ぶ鳶。
そののんびりとした風景に思わず近くの草場にごろんと横になる。
目の前の道路は確か国道だったと思うが、さっきからほとんど車が通らないために道路のそばといっても静かだ。
太陽の光がぽかぽかと暖かい。きっと今はビタミンDが取れているんだろうな……

「!」
何者かが近寄ってくる気配に僕は慌てて身を起こした。
どうやら気づかないうちに眠ってしまっていたらしい。
少しぐらいの人の気配なら眠り続けていただろうが、何十人もの気配が近づいてきたのだ。さっきまで人が数えるほどしか居なかったというのに、この大人数は普通ではない。
しかも全員が露骨な敵意をむき出しにしている。
僕は竹刀袋を握ると、近くの茂みに逃げ込む。
しばらくして音の主達は気配を絶った僕に気づくことなく通り過ぎていった。
そっと音の主たちの様子を見たのだが、大半がまともな商売をやっていなそうなガラの悪い男たちで、それぞれ木の棒や木刀といった得物を持っている。
最近はこんな田舎でも昔の典型的な不良とかヤクザみたいなのが見れるのかと思わず感心する。むしろ田舎だからかもしれないが。
男たちの進行先を見ると、木陰にあつらえられたベンチの上で昼寝をしている人がいる。
こんなところで昼寝をするなんて何を考えているのだろうか。
そしてあの男達はその男に何の用事があるというのだろうか。
まさかとは思うが、これはいわゆる『報復』とかそういったものなのだろうか……
やがて男たちはその昼寝をしている男の前に集まった。
「おい! 起きろ…今日こそけじめをつけてやる!」
そのまさかだったらしい。眠っていた男は薄めを開けて男たちを見る。
「なんだ……またかよ……。勘弁してくれ……。今は昼寝の時間なんだ……また二時間後に来てくれ……」
「ふざけたこといいやがって…やっちまえ!」
男たちは昼寝男の言葉にかっとなって襲い掛かった。短気だ。そしてセリフもベタだ。
「って、のんびり見てる場合じゃない!」
僕は慌てて男を守ろうと飛び出す。
多人数で一人に襲い掛かるなんて非常識もいいところだ。
僕はそういった卑劣な行為が許せないたちらしい。
しかし僕が男たちと昼寝男の間に入ろうとした刹那、ヒュンと風をきる音がしたかと思うと昼寝男に襲い掛かった男の一人はその場に崩れ落ちた。
僕は驚いて間合いに入ろうとする自分の体にブレーキをかける。
直後襲い掛かった男たちが振り降りした様々な得物が叩いたのは、昼寝男ではなく哀れなことに昼寝男が最初に倒した男だった。
昼寝男は男たちのうしろに一瞬にして回りこむと、またしても風を切るヒュンという音が聞こえ、襲いかかろうとしていた男たちは何が起こったかわからずにその場に崩れ落ちた。
「な、なんだ!?」
昼寝男に襲い掛かつた男たちのリーダー格らしき男が狼狽の声を上げる。
それも当然だ。
圧倒的優位にいたはずの自分たちが、一瞬にして倒され、しかもその方法が全くわからないのだから。
実際は昼寝男が猪突猛進な男達の死角に回り込み、そこから男たちに攻撃を仕掛けた、というそれだけのことだが。
勿論その速さは常人には見えないものであったし、一撃一撃を急所に的確に入れている技術は理解していても普通は出来ないものだが。さっき昼寝男は襲い掛かられる前に手に小さな木の枝を握っていた。
それも男たち来る以前に、だ。
僕は最初無心のうちに握っていただけに過ぎないと見ていたのだが、それがこの展開を見越してのことだとしたら、男は最初から寝てなどいなかったのだろう。
昼寝男という一時的名称を昼寝男(偽)とでもしなければならない。
昼寝男(偽)は男たちが襲いかかってきた瞬間に一人を倒して突破口を作ると、跳ね起きた反動を利用してすり抜け、死角に回りこみそれぞれの男の延髄に二打ずつ打ち込んだのだ。
「これにこりて次からは俺にちょっかい出そうなんてしないでくれよ。あんたたちも被害を拡大させたくないだろう?」
昼寝男(偽)がそういうと、男たちは「覚えてやがれ!」と、これまた典型的な捨て台詞を残して仲間を担いでいってしまった。
僕は男たちの評価を『短気でボキャブラリ不足』から『短気で弱く、ボキャブラリ不足』と改めた。
その逃げていく姿を眺めていた昼寝男(偽)は、やがてこちらに振り返ると笑いかけてきた。
「ありがとうよ、お嬢ちゃん。助けてくれようと思ったんだろうけど、こういうのは男の仕事だぜ」
なんと失礼な。貴方はジェンダーフリーという言葉を知らないのか。今の世は男女平等なのだ。法律でも保障されている。そういった考えは早々に捨てるべきだ。
いや、それ以前に正しておかなければならないことがあった。
「僕は男です」
男は僕の言葉を聞いて目を点にした。

「なーんだ、お嬢ちゃんじゃなくて、お坊ちゃんだったのか。失礼。失礼」
「あの、坊ちゃんもやめていただきたいんですが……」
そういってがっかりしたような声を出す昼寝男(偽)の顔の左頬は赤くはれている。
昼寝男(偽)はあのあと、僕の顔を覗き込んだのち「本当に男なのか?」と言って、その……確かめようとしてきたので、思わず頬をひっぱたいてしまったのだ。
さすがに自業自得と思ってあきらめてほしい。
昼寝男(偽)は見た感じ僕より5つか6つ年上で、浅黒く焼けた肌に、180センチはあろうかという身長をしている。
僕は同年代の同姓と比べても背が大きいほうではないので、うらやましく思ってしまう。
「僕には塔馬光っていう名前があるんです。せめてそういった名前で呼んでもらえませんか?」
僕は昼寝男(偽)にそう要求した。
別に不快だったというわけではないが(多少不快だったが)、なんだかむずがゆかったのだ。
この昼寝男(偽)は元来人をひきつける魅力があるのか、不思議と嫌な感じはうけない。
まあ、確かに失礼な発言をすることがあることは否めないのだけれども……
「塔馬?」
その言葉を聞いたとき、ふと何かを思案するような表情になる。
しかしすぐにもとの表情に戻る。
「ほ…、光か。いい名前じゃねえか。俺は枯朝ってんだ、よろしくな」
変な名前だろう? と笑う。
僕はそんなことないですよ、といって笑い返した。
しかし何故だろうか?
どこかでこの名前を聞いたことがある気がするのだが……。
まあそんなことはどうでもいい。
僕はついに見つけたのだから。
「すいません、出会ったばかりで恐縮なのですが、一つお願いを聞いていただけませんか?」
「ん? なんだ? 言ってみな。さっきの無礼のお詫びに、無茶な願いじゃなきゃ聞いてやるからよ」
僕の言棄に枯覇さんは快く応じてくれた。
僕はそんな彼に指をビシッと突きつけて、言う。
「勝負しましょう!!」
僕の言葉に再び枯朝さんの目は点になった。
「は? 何の勝負?」
「決まってるじゃないですか。貴方の剣の技量は相当なものだと見受けました。僕は強い相手を求めて旅をしているのですが、どうか僕と剣で手合わせ願えないでしょうか?」
僕の願いに、しかし枯朝さんの表情は明るいものから一転して険しいものへとなった。
「……断る」
「……え?」
まさか断られるとは思っていなかった僕はその返事に呆然とする。
「俺は……剣を振る資格がねえんだ。手合わせは出来ねえ。あきらめてくれ」
そういうと、枯朝さんは僕に背を向けて去ろうとした。
僕は諦めきれずにもう一度頼もうと声をかけようとしたが、僕が口を開く前に枯朝さんは振り向きもせず、こういった。
「自分の望みをかなえるためなら他人の都含なんてお構いないって言うのがお前の信じる道なのか?」
頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。
僕はその言葉に何も言い返せず、ただ黙って枯朝さんの背中を見送るしか出来なかった

「僕は……聞違っていたのかもしれない……」
枯朝さんの姿が見えなくなってから、僕はそうぽつりと呟いた。
確かに枯朝さんの気持ちを全く考えていなかった。
相手に何か事情があるかもしれないということを考えもせずに。
もしかしたら枯朝さんは紺粋に僕と手合わせをしたくないのかもしれない。
恥ずべきことをした。
僕がそう思っていると、ふと、清流老人と枯朝さんの言棄がよみがえった。
『そして道に迷えるもの炉いたら救ってあげなさい。貴方のできる隈りのカで』
清流老人はそういった。
道に迷えるものが居るのならば、出来る限りの力で助けてやれと。
『俺は……剣を振る資格がねえんだ……。手合わせは――出来ねえ。……あきらめてくれ』
あのときの枯朝さんの言葉の端には妙な間があった。例えて言うならば一言一言無理やりつむぎだすかのような。
もしかしたら……あの言葉にあった間は迷いではなかったのだろうか。
もし、もし枯朝さんが道に迷っているとしたら、僕に出来ることは……二つだけ。
自分の願いが叶うより、他人に幸せになってほしい。
それが他者を思いやるということならば、一度それを失敗した償いとしても。
僕はそう決意すると、もうひとつのことを考えながら枯朝さんのあとを追うことにした。
さっきまで晴れていた空は、黒い雲が立ち込めてきていた。

僕が枯朝さんの去った道をひたすらまっすぐ進んだところ、枯朝さんはまだその道から外れていなかった。
「逃がしませんよ枯朝さん」
「……帰れ」
追いついた僕の言葉に、枯朝さんの返事はにべもない。
しかしそんなことで自分の信じることにした道は曲げない。
もしこの人が思考の迷宮にいるとしたら、絶対に助けたいから。
そう思って声をかけたものの何を話せばいいのだろう。
ふと、僕は暗くなり始めた空を見て、何の気もなしに思ったことを口にした。
「帰れといわれても家が無いんですよ……今日の雨宿りはどこでしようかなあ……」
「なに?」
僕がぽつりと言うと、その言葉に歩みを進めていた枯覇さんが立ち止まって振りむいた。
意図して口に出した言葉ではなかったが、どうやら枯朝さんと話すきっかけにはなってくれたようだ。
「僕は理由があって家をでているんです。それについて詳しくは話せませんが、一つだけ質問に答えてください。もちろん枯朝さんの都合の悪いことは一切聞きませんから」
僕がそういうと、枯覇さんは少し思案して短く、
「いいだろう……」
といった。
「ありがとうございます。僕が聞きたいことは一つです。どこかこの近くに泊まれるような場所はありませんか? 雨露さえしのげればいいんです」
枯朝さんは緊張していた顔を居心なしかやわらげ、大きなため息を一つついた。
「お前……変なヤツだな。さっき俺にあんなこと言われたのにそんなこと気にせずに雨宿りの場所なんか尋ねてくるなんてよ。おもしれえ。気に入った。俺の都含の悪いことは聞かないって言うんなら、うちに泊めてやる。ただし一晩だけだ」
「ええっ!」
僕は予想外の展開に驚く。
なんとか話を作り出すことに成功しただけで無く、まさか泊めてもらえるとは。
いい人だとは最初会ったときに思ったが、まさかこんなに親切だなんて。
僕よりも貴方のほうがよっぽど変わり者です。
という言葉は飲み込んだ、
「……本当にいいんですか?」
「ああ、かまわねえ。さっきはいいすぎたしな。お前は純粋なんだよ。一つのことを見ると周りが見えなくなるみたいだからな。でも今はそれを詫びているんだから、何も間題はねえよ。むしろ今は純粋に困っている旅人その一、だからな。できるだけカになってやるよ」
そういうと枯朝さんは豪快に笑って僕の手を掴むと、半ば僕が引っ張られるような状態で歩き出した。
なんとなく気恥ずかしいものがあったが、そんな気恥ずかしいということは僕が枯朝さんの手のひらの様子に気づいたときにどこかへ行ってしまった。
枯朝さんの手のひらには刀を持つときに出来る、いわゆる『剣ダコ』が出来ていた。
それに気づいて、ああ、この人はやっぱり剣の道を、どんな形であれ歩んでいたのだな、と思った。