剣の先に映るもの:二章



二章 枯朝さんが僕を引っ張って連れてきた先は大きな日本庭園を抱えた屋敷だった。
「……すごいですね。こんなに大きな家に住んでいらっしゃるなんて」
僕は正直な感想を漏らす。
枯朝さんは苦笑して「所詮困舎の屋敷だ」といったが、今まで旅の途中で色々なものを見てきた僕の目から見ても、思わず感心させられるほどの大きさだった。
庭は枯山水。暗くてよくは見えないが、どこからか竹が岩を打つ、コーン、という音が聞こえる。
どこかにししおどしでもあるのだろう。
「悪いがちょっと待っててくれ」
枯朝さんは僕を屋敷の敷地内に入ったすぐのところで待たせると、走って屋敷のほうへ向かって行った。
何故か気づかれないように気配を絶っている。
僕はそのことに首をかしげながらも、枯朝さんが帰ってくるのを待つことにした。
枯朝さんが僕をおいて行ってから十分ほどがたっただろうか。
枯覇さんが戻ってくる気配は、まだない。
僕は黙って座禅を組み、黙想を始めた。
やはり精神の修行にはこういったものが最適だと再確認する。
薄めを開けて、虚空を見つめ、胡坐をかいて手を組む。
とっさの時には対応しにくいが、周辺に僕以外の気配を感じないので問題は無いだろう。
しかし枯朝さんも遅い。いつになったら戻ってくるのだろうか。
いや、もちろんこんなすばらしい屋敷に連れてきてくださったことだけで感謝の念は一杯なのだが……、何かあったのではないかと心配してしまう。
「!」
ふいに僕の周りの空気が変わつた。
次の瞬間背中に叩きつけられた突き刺さるような強烈な殺気に本能的に反応し、座禅のために右脇に置いてあった竹刀袋から刀を取り出して、鞘から抜かずに後ろに振った。
ギンッ
鞘は後ろに振るときの遠心力で屋敷の光の及ばない闇の方へと飛んで消えた。
そしてあらわになった刀身、その刃に軽く反り返った刃が組み合わさっている。
刃から続く長い柄は、闇の中、空中に佇む何者かに続いている。
僕は一瞬で相手の武器の正体を見抜いた。
薙刀だ。
反り返った刃と、圧倒的なリーチを誇る長い柄。
僕はその何者かの一撃を咄嗟に食い止めると、刃をカ任せに押し返す。
相手は弾き飛ばされながら、その反動を利用して空中で体をひねり、地面に降り立つ。
さっき空中に佇んでいると思ったのは、どうやら薙刀の刃に絶妙な体重をかけ、軽業師のように僕の刀のうえでバランスをとっていたようだ。
常識では考えられないことだが、相当な身の軽さと運動神経、バランス感覚が飛びぬけていれば不可能な芸当ではない。
実際今までそういう人と手合わせした経験もある。
僕は地面に降り立った影に向かって正眼に刀を構える。
相手の目的は分からないが、ここで襲ってきたことから考えても地の利はあちらにあると考えてもいいだろう。
さて、相手はどうでてくるか……。
僕が警戒を緩めずにいると、相手はいきなり構えを無造作にといた。
いったい何のまねだろうと僕が思っていると、今にも雨が降りそうだった空の雲が少し割れ、うっすらと月の光が差し込んだ。
まるで物語の演出のように、月の光の差し込む場所に僕を襲った何者かが進み出た。
身長は僕より十数センチは小さいだろう。
全身を黒装束で覆っていて、顔には目だけが見えるいわゆる覆面をつけている。
僕がその相手を注視していると、その相手は覆面に手をかけ、ゆっくりとそれをはずした。
そこから現れたものを見て僕は絶句した。
「はい! 合格! これであなたは晴れて我が家の一員となりました!」
そこから現れたのは僕より年下と思われる少女だった。
月光に照らされている故の幻想的な美しさといったものはまるでなく、むしろ正反対で、そこにいるだけで周りを明るくさせてしまうような太陽のような存在、といったらいいだろうか。
あまりうまい言葉が見つからない。
あまりに予想外の相手に、僕はさっきこの少女が僕を襲ってきたという事実を一瞬とはいえ忘れてしまった。
「すまねえな、光。家の奴らにとめていいかって聞いたら、何故だかお前に興昧を持っちまってな。家の奴らが言うには『お前の気に入った奴なのだから、さぞかし面白い輩だろうな』だとよ。そんで皆でここに来てみたらお前は座禅組んでやがるじゃねえか。その雰囲気が普通のやつがまとえるものじゃなかったもんだから、家の奴らは一発でお前が普通のガキじゃねえってこと見抜いたんだとよ。それで、面白いからってそこの妹、咲夜にお前さんを試させたんだ。いっとくが俺は止めたぞ」
僕が我を忘れて呆然としているといつのまにか僕の後ろに枯朝さんが立っていた。
枯朝さんの後ろには僕の見知らぬ二人が立っている。

顔は暗くてよく見えないが、どうやら枯朝さんの家族の方のようだ。 しかし、そんなことより、僕は四人もの気配を全く感じなかったという事実に呆然としていた。
もしこれか戦場だったら僕の運命は決まっていただろう。
即ち――死だ。
呆然としている僕をよそに、枯朝さんの後ろに居た一人が口を開いた。
「もう遅い。このあとは雨も降るだろう。早く中に入りなさい。あいさつは全て明日の朝だ」
たんたんと喋る声はよく響き、威厳を感じさせた。
その言葉に枯朝さんは「ああ」と短く言うと僕の手を掴む。
「今から部屋に案内する」
「ええっ!?」
その言葉に僕は驚愕する。
部屋? 部屋といったのだろうか? もしそうだとしたら信じられない。
まさか部屋に泊まれるとは思ってもみなかった。
旅を続けて数年、部屋と呼ばれるものに泊まったことは数えるほどしか無いというのに……!!
何故だかそう考えていると妙にむなしくなった。
「またね〜。え〜と……光ちゃん!」
僕を襲った張本人(確か枯朝さんは咲夜と呼んでいた子だったかな?)が、さっきまで月の光が差し込んでいた場所で手を振る。
僕は枯朝さんに引っ張られながら手を振った。
枯朝さんに連れられて入った部屋は、十畳はあろうかという大部屋で、僕は仰天した。
畳の藁の匂いが心地よい。
枯朝さんは部屋の中を見渡していった。
「ここが今日からお前の部屋だ。布団はそこの押入れに入ってる。あと、そこにかけてある掛け軸は高いから壊さないようにな。あと……」
「ちょ……ちょっと待って下さい!」
僕は慌てて待ったをかける。
僕の慌てた様子に枯朝さんは多少驚いて「な、なんだ?」とこっちを見る。
「な、なんですか? 『今日からお前の部屋』って!」
枯朝さんの言葉の中に一つだけおかしい言葉あった。
今日『から』僕の部屋?
僕は一日だけ泊まらせてもらうつもりだったのだが、今のはまるで……
僕の質問に枯朝さんは目をそらして頬をかいた。
「あー……まあその、なんだ。とりあえず早く寝ろ。全ては明日の朝だ」
そう誤魔化すと、枯朝さんはこの場を逃げるように走り去ってしまった。
僕はただ呆然として、その場に取り残された。