剣の先に映るもの:三章



三章 「ん……」 外から部屋の申に差し込む眩しさに僕は目覚めた。
まだ意識は朦朧としている。
どうやら久しぶりにまともなところに泊まったためか、疲れが一気に出たらしい。
僕の体内時計はいつもの僕の起床時間を過ぎているという警告を発しているが、どうしてもまだ起きたくないという本能が勝ってしまう。
外からは小鳥のさえずりが聞こえる。
セキレイか何かだろうか。
そういえばこの近くは小川があったな……。
僕はそう思いながら寝返りを打つ。
すると目の前に昨日勝負を仕掛けてきた少女の寝顔があった。
あはは、気持ちよさそうな寝顔をしているな……
「って、うわああああああああああっっっっっ!!!」
なんだなんだなんだなんだなんだなんだ!!!
慌てて布団から飛び出す。
まだ夢を見ているのか??
しかしさっきから心臓がどきどきと早鐘を打ち、これが夢ではないことを知らせてくれる。
今朝の朝食はお味贈汁だ。
いかん。思考が破綻している。
とりあえず深呼吸。
僕は目を閉じて大きく息を吸う。
再び眼を開けるとそこには布団の中で寝ている少女の姿があった。
その頬には一摘の涙が流れていた。
その涙が僕に冷静さを取り戻させる。
何かよくない夢でも見ているのだろうか……
「…やだよう……痛いよう……ばあち……ん……もう疲れた……」
昨目までの幸せそうな笑顔を、辛そうな顔に歪めながら寝言を呟いている。
その様子に僕は何か悪いことをしている罪悪感に駆られる……って、
「僕は何をしているんだ!」
自分の立場と、おかれた状況を思い出し大声を上げる。
「ん……ふあぁ〜あ……あ、おはよう、光ちゃん」
その声に少女(確か咲夜ちゃんだったか)は、眠たそうに目をごしごしとこすった。
いつのまにかさっきまでの辛そうな顔は消え去って柔らかな笑みが戻っている。
とてもさっきのような表情をしていたとは思えない、天使のような、そんな笑顔。
だぶだぶのピンク色のパジャマが咲夜ちゃんののんびりとした雰麗気によく合っていて頬柄ましい。
「って、そうじゃなくて! なんで一緒に寝てたの!?」
「だって光ちゃんと一緒に眠りたかったから!」
僕が慌てて問いただすと、咲夜ちゃんは溢れんばかりの笑顔であっけらかん答える。
その答えに僕はその場に崩れ落ちそうになった。
この子には警戒心というものが無いのだろうか……。
「あのさ、僕男なんだけど……」
僕の言葉に咲夜ちゃんは絶句する……かと思いきや、彼女は少しも逡巡せずにこう答えた。
「だって、光ちゃんは光ちゃんじゃない?」
その言葉を聞いて、僕はあきれを通り越して一種の感心に似た心情を抱いてしまった。
彼女は僕が男である、女であるという以前に、僕を塔馬光という一人の人間として扱っているのだ。
枯朝さんのさばけた性格と共通するようなものを感じ、僕は枯朝さんとこの少女が兄妹であるということに多少の納得できる部分を見つけることが出来た。
なにせ見た目があれとこれである。
外見から共通部分を見つけろというほうが無理だろう。
咲夜ちゃんはせっせと僕の寝ていた(彼女自身の寝ていた)布団を綺麗に片付けると、くるっと僕のほうを振り向いた。
「そういえば、朝ごはんそろそろだから、一緒に行こ?」
そういうと、少女は僕の返事を待たずに僕の手を引っ張って、半ば連行されるような形で部屋から僕を連れ出した。
ああ、こんな強引なところはまさに枯朝さんとそっくりだなぁ、と赤面して思考回路が破綻しつつある頭で漠然とそんなことを考えていた。

少女に案内された部屋には机を囲む枯朝さんと見知らぬ二人の男女の姿があった。
ただ、気配だけで昨日の二人だと分かる。
一人の男は浅黒い肌をし、おそらく四十歳半ばほどだろうか。
一般的には体の衰えが顕著になり始める年齢のはずだが、しかしその体から発している静かな気迫は僕に畏怖すら感じさせる。
その男性に寄り添う女性は、男性とは対照的に透けるように白い肌をしている。
見事のまでの黒髪とあいまって、まるで日本人形のようだ。
どういった種類のものかはわからないが、高級そうな和服を纏い、思わずどきりとするような桑和な笑みを浮かべている。
年齢は幾つぐらいなのかまったく見当がつかない。
二十代だと言われれば信じてしまいそうだし、四十代といわれても納得してまう、不思議な人だ。
僕を案内してきた咲夜ちゃんが枯朝さんとなりに座る。
僕は改めて隣に座しているその少女を見た。
昨日は周りが暗くて見えなかったし、朝は……あんなことがあつたものだからまともに観察している余裕なんて無かったからだ。
咲夜ちゃんは目の前の不思議な女性と同じく透けるような白い肌をしている。
腕は細く、とても昨夜僕に重い一撃を加えるような攻撃をしたとは信じられない。
髪は亜麻色で、両側を水色のリボンで留めている。
そして枯朝さんはというと、暖かそうな厚手の服を着込み、僕を見ると気まずそうに笑った。
「わりいな、今事情を説明するからよ」
そういうと、枯覇さんは視線を男性のほうに向ける。
男性はその視線を受け止めて軽く頷くと、僕のほうへと体を向けた。
「まずはおはようといっておこう」
僕はその言葉にあっと息を呑むと、慌てて姿勢を正して挨拶をした。
初歩の礼儀を忘れていたなんて、自分が自分で情けない。 「次に自己紹介だが、私の名前は白鳥清十郎という。この白鳥家の主だ」 男性がそう自己紹介する。おそらく枯朝さんのお父さんだろう。
「私の名前は白鳥篠、と申します。以後お見知りおきを」
手をついて優雅に女性が言う。
「私の名前は白鳥咲夜っていうんだよ。よろしくね〜?」
僕をこの部屋に案内してくれた少女が言う。
「まあ、俺の名前はいう必要はないわな。ちなみにお前の名前は俺が勝手にいっちまったから自己紹介の必要はねえよ」
そう枯朝さんが締めくくる。
しかし僕としては泊めてもらったうえに、自己紹介をしないことは失礼だと思うのであいさつをすることにする。
「僕の名前は塔馬光といいます。昨晩はあのようなすばらしいお屋敷に泊めていただいて本当にありがとうございました」
僕がそう挨拶をすると、篠さんは口元に手をあて、くすくすと忍び笑いを漏らした。
僕が何故笑われたのか分からず首をかしげていると、篠さんが柔和な笑みを浮かべて僕の疑問に答えた。
「そんなに律儀にせずとも、剣の名門・塔馬家の御嫡子となれば当然、名前は知れ渡っていますよ」
「!」
僕はその言葉に驚き、反射的に竹刀袋に手をかけようとしたが、それはあまりにも無礼だと思い無理矢理理性でとどめる。
代わりに相手を警戒し、無意識のうちに目を細めた。
「おいおい、そんなにいきり立つなよ。自分の家の名前聞かされたぐらいでさ」
枯朝さんが僕をなだめようとするが、今の僕にとってそんなものはただの雑音でしかない。
僕は自分の頬に流れる一摘の汗を感じる。動揺を悟られないように努めようとしてもその汗を止めることはできない。
「……何故……塔馬家の名前を知っているんです?」
僕が明らかに敵意に似た声を発すると、しのさんは再び口元に手をやり、くすくすと笑った。
「もしかしてお気づきになられていなかったんですか?」
「……何にです?」
この人は油断ならない。
本能的にそう感じる。
いや食えないといったほうがいいだろうか。
心の中に霧でもかかつているかのように考えていることが全く読めない。
今の発言ですら真意がどこにあるか全く読めず、意図するものがなんなのか、理解することが出来ない。
篠さんは相変わらず柔和な笑みを絶やさずに、話を続ける。
「いいですか? この国には多くのその道の名門と呼ばれる家があります。そして幾つかの家はもともとは同じものから分化したものなのです。そして、武術といえば剣術、柔術、槍術、弓術などが上げられますね。そして光さんの家は剣の名家、塔馬家。そのことは貴方が昨晩咲夜との手合わせで抜いた備前長船が教えてくれました。私達はその刀を一度だけ見たことがありますので」
僕はその言葉に驚愕した。
昨日の暗闇の中で一瞬しか見えなかったこの刀の正体を見極めたということも確かに驚くに値するが、何よりこの刀を見たことがあるというのだ。
「貴方はいったい……」
僕は驚きとともに篠さんに問う。
篠さんはその問いにはあえて答えず、代わりに詠うように語り始めた。 「古より伝わりし五つの武家の一族
一つは中央に君臨せし剣の塔馬
一つは南方を守護せし弓の水鏡
一つは東方を経世せし拳の九龍
一つは北方を統治せし槍の古雅
そしてもう一つは西方を見守りし薙刀の……」
「白鳥……」
僕は気づいて思わず呟いた。
何故そんなことに気づかなかったのだろう。
白鳥といえばこの国を代表する薙刀術の一派だったはずだ。
他の四つの家に比べると、薙刀という男性のやることの少ない特別な一派で変わり者とされている。
しかしそれでもこの国の五つの武術名家に列せられている。
その理由は単純に強いからだ。
五つの家の中でも最強とされている塔馬家より強いと噂されているくらいで、実際僕の尊敬していた祖父が白鳥家の人と手合わせしていたのを見ていたことがある。
勝負の内容については、何しろ昔のことなので詳しくは覚えていないが、確か勝負自体は結局勝敗がつかなかった。

少し薙刀について説明しておいたほうがいいだろうか。
薙刀の起源は中国にあり、矛(ほこ)と戈(か)から派生した武器である、戟(げき)が変化したものだといわれている。
長柄に反りのある刀身を着柄したもので、その名のとおり相手を薙ぎ払うことを目的とされていた武器だ。
戟から派生したという話が事実であるとすれば、薙刀の元は中国の宋の時代には出来ていたということになる。
話を戻すが、日本で薙刀という形として定着するのは、平安時代中期に源義家が奥州の清原一族と戦ったときのことが記された『後三年記』に『投刀』として登場している。
源平争覇期にはかなりの文献や挿絵に登場し、鎌倉時代に僧兵の主カ蔵籍となった。
こうしてみてみるとこの頃は『女の武器』としての考えは無かったようだ。
やがて時代が移ろい、室町時代末期になると槍に取って代わられ、一時的に歴史の舞台から遠ざかった。
その理由はやはり薙刀の扱いにくさにあったようだ。
薙刀にくらべて槍は訓練が容易で(極めるといった話はまた別であるが)農民たちでも使えることが戦国時代と呼ばれる時代では重要視されたようだ。
しかし、江戸時代になると、武家の女子のたしなみとなり、再び注目を集めた。
白鳥家はそういった時代の流れの中で江戸時代に成立した。
代々当主は女性がつとめ、男性は薙刀に触らせてすらもらえないという一風変わった流派のため、自然白鳥家に生まれた男子は立場が弱かった。
近年新しい当主に変わり、男性と女性の立場が平等になったらしいとは聞いていたが、相変わらず男性は薙刀に触らせてもらえないらしい。

「光君」 僕はその声で現実に引き戻された。低いがよく通るその声は清十郎さんから発せられたものだった。
僕は自分の今の立場を再び理解し、警戒心を張る。
清十郎さんは警戒心をむき出しにした僕を警戒するでもなく、なだめるでもなく静かに見据えてくる。
「……昨日塔馬家に連絡を取った」
僕はその言葉で背中が凍りついたように感じた。

僕は次の当主として期待されていたが、世間も知らず、塔馬家という名の籠の中で言いなりになるのが嫌だった僕は勝手に家を飛び出したのだ。
そのあとどうなったかは定かではないが、風の噂に聞くところによると、家でした僕を探すために色々と手を尽くしているらしい。
塔馬家は圧倒的な支配力を持っている。
剣の一族だけあって、全国の剣術道場の大半が塔馬家とつながりを持っているためだ。
また、今の時代においても剣術道場というのはいたるところにある。
そのせいで僕が今まで追っ手をまくのには物凄い苦労を強いられた。
その塔馬家に僕の居場所が分かってしまった、塔馬家は間違いなくこの白鳥家に対して僕を引き渡すように言ってくるだろう。
この白鳥家が五大武術名家の一だとしても、塔馬家の立場はその頂点にあるのだ。
「……それで、塔馬家はなんと?」
僕は答えを半ば予想しつつも、あえて確認するように聞いた。
「当然、君を受け渡すように言ってきた」
僕はその言棄を聞くとたん、竹刀袋を持って立ち上り、軽く一礼して戸口に向かって歩きだした。
一刻も早くここを離れなければならない。
「語は最後までお聞きなさいな」
ぴたりと僕はその声に歩を止めた。
振り返ってみると篠さんが柔和な笑みを浮かべて僕を見ている。
「枯朝が昨日いいましたでしょう? 『今日からここがお前の部屋だ』と」
僕はその言葉にまさかという気持ちを抱く。
まさかあの塔馬家に対して……
「……昨日連絡を取ったときになんと返答したんです……?」
篠は、癖なのか口元に手をあてると、まるで悪戯を面白がる童女のようにくすくすと笑った。
「『私達はそちらの要求を呑むつもりはありません。こちらがご報告したのはあの子をほっといてあげてほしいからですわ。家の都合で動かされるなんて本人は嫌だといっています。もし、あなた方が塔馬さんを取り返したいのなら直接ここまでいらっしゃいな。今の光さんはうちの子ですから』と答えましたわ」
そういうと篠は再びくすくすと笑った。
僕はその答えを聞いて唖然としていた。
それではまるで塔馬家を敵に回すと堂々といっているようなものではないか。
「心配はいりませんわよ。光さんのお祖父さまがいない今塔馬家では私に敵うものはいませんもの。光さんがいらっしゃったならまだ分かりませんけどね」
「祖父と手合わせしたことがあるんですか!?」
僕はその書葉にまたもや驚かされる。
今の言葉ではどうやら祖父と会ったことがあるのは間違いない。
そして塔馬家に白鳥家の人が来たことは僕の記億では一度しかないはずだ。

その話は今でも脳裏に焼きついて離れない。
何故なら最強と呼ばれた塔馬家当主が初めて勝負をつけられることが出来なかったのだから。

当時僕は物心ついたばかりで、そのころにはもう剣の道を進んでいた。
来る日も来る日も稽古ばかりをやらされ、外の世界に出ることなど一度も無かった。
学校すら行かせてもらえず、わざわざ教師を雇って勉強させられたのだ。
楽しいと感じたことなど、無かった。
もちろん剣の修行が嫌いなわけではない。
一本の竹刀を生きているかのように操り、相手と向かい合うときの緊迫感はとても楽しい。
というより、生きていると感じる最高の瞬間を味わうことが出来たのだ。
相手の一挙一動を見ながら、相手の出方を伺うむあの感覚が好きだった。
しかしそれ以外の生活は楽しいなんてものではまるでなかった。
家の決めた線路をただ走る列車のようにすごすだけ。
生きる気カさえなくなりそうだった。
父も母も僕が幼い頃に他界し、僕の親代わりは家の名誉のことを第一に考える叔父と叔母だった。

そんな僕を支えてくれたのが祖父だった。

いつも優しく微笑み、稽古が終わった僕を優しく迎え入れてくれた。
ある日祖父にそんな苦しい生活の不満をぶちまけてしまったことがある。
その時も祖父は優しく微笑んで僕を温かい言葉で包んでくれた。
『辛いなら泣けばいい。男は必要以上に泣いちゃあいけねえが、辛い事に堪えられないときは泣くんだ。中学生になる歳まで待ってまだ空虚な気がするなら、家を出な。自分の大事なものを一つ見つけて帰って来い。それが光の一番大切なものになるだろうからよ。俺は塔馬家の当主だから表立ってお前の味方につくことはできねえ。でもな、忘れないでくれ。俺はいつまでも光の味方だかんな』
そういって僕の頭を撫でてくれた、あの祖父の手の温もりがいまだに忘れられない。
僕は一人ではなかつた。
父も母も他界し、親戚一同が僕のことを『塔馬家』のための部品としてしか扱っていなかった時、祖父だけは僕を、塔馬光という一人の人間として見ていてくれた。
それは単純なことだったけど、なにより大切で難しいことだ。
人を人として見るということは言うほど楽なことじゃない。
人は本能的に相手と自分を比べる性質を持っている。
そこで人が欲することは自分のほうが相手より優れているということ。
相手に勝っていることだけを見つけたがる。
そこで相手を見ることが出来なければ人を人として見ることが出来ないものだ。
僕.はそんなことか出来る偉大な祖父を持って本当に幸せだった。

ある目塔馬家に連絡が入った。
それは白鳥家の者が手合わせに来るという話だった。
今まで最強と呼ばれた塔馬家に他流派が勝負を挑んでくることなど無かったのに、よりにもよって五流派の中で最もマイナーである薙刀の使い手が勝負を申し込んできたのだ。
塔馬家の連中は当然その無謀な朝鮮をあざ笑った。
『今の当主さまに勝てるわけが無い』と。
いや、塔馬家のものでなくてもそう思っただろう。
それほどまでにそのときの当主である祖父は強かったし、それだけ薙刀使いに対する関心が低かったということだろう。
時は過ぎ、約束の日がやってきた。
約束の時間である正午ちょうどにその挑戦者は現れた。
随人も連れず、たった一人で。
塔馬家の連中はその挑戦者を見て言葉を失った。
驚くほどに幼い、あまりにも若すぎる女性だったのだ。
胸に白鳥家の家紋である月見草の刺繍が入った和服を着て、優雅に微笑んでいる。
肌は病的なほどに白く、一目で白子だとわかる。
そのためか暑い夏の目差しを避けるための日傘をさしている。
祖父はその女性を道場に案内すると試合を始めた。
誰も祖父の勝利を信じて疑わなかった。
年老いたといえどもその目は一点も曇ることなく、炎を宿したその目の輝きは他者を圧倒する。
僕も祖父の稽古を見たことがあるが、まさに神業としか言いようが無かった。
剣道において最も強いとされているのは四〜六段ぐらいの二十代から三十代ぐらいの人だ。
体当たりをするにしても若くなければ弾き飛ばされてしまうし、そこを追撃されたら体勢が悪く反撃しきれないからだ。
しかし祖父にはその力強さがあった。
大きな道場で若い師範,たちを集め、乱どりをさせる。
ただし全員が全員祖父を狙うのだが。
祖父はその全てをさばき、避け、一人一入から確実な一本を奪っていった。
塔馬家においての師範というのは、実力的には全国大会に毎回出場できるほどのレベル、といえばわかりやすいだろうか。
それぐらい祖父の強さは圧倒的だった。

しかしその勝負のときは誰もが息をすることを忘れた。
始めの合図と同時に祖父が正眼の構えから一瞬にして相手の面をとりにいった。
しかし白鳥家の女性は軽く上体をずらすと巧みに祖父の攻撃を避け、下段に構えていた薙刀を跳ね上げた。
祖父はそれに反応し大きく後方に避ける。
女性と祖父の攻防は終わることが無かった。
審判すら息をすることを忘れ試合時間などとうに過ぎているのに、誰も止めようとはしなかった。
いや、止める事など出来なかったのかも知れない。
それでも試合が終わったのは、ふいに両者の得物が折れてしまったからだ。
ただ僕が何よりも鮮明に覚えているのは、女性は最初から最後まで柔和な笑みを絶やさず戦い、祖父も嬉しそうな顔をしていたということだけ。

その勝負の後だ。
僕が今に至るまで旅を続けてきた原動力となったことを思いついたのは。
すなわち強い敵と戦えれば自分も楽しくなれるかもしれない、ということ。
僕はそうして自分のやりたいことを見つけた。
僕はそれを教えてくれた女性と租父に感謝した。
あのときの女性が篠さんだったのだ。

それにしても全くあのときから歳をとっていないように見えるのは……なんというか……妖怪?
「あら、光さん。人のことを妖怪だとは失礼ですわね」
「ええええっっ!」
僕はその言葉に慌てふためく。
まさか心を読まれたとでも言うのか!?
「冗談ですわよ。そんなことは出来るわけないでしょう? ……でも今の反応を見る限り本当に思ったんですか?」
「違います違います絶対違います!!」
僕は慌てて首をブンブン振る。
篠さんばかりか枯朝さんや咲夜ちゃんまで僕の様子を見て笑い出した。
「ははははっ。緊張感が取れたようじゃねえか」
その言葉に僕ははっとなる。
そういえばいつのまにか僕は警戒心を解いていた。
意図的にしたわけではなく自然とそうなっていたのだ。
「まあ、光君。そういうわけで君は安心して白鳥家の一員となった。これからもよろしく頼む」
「ちょ、ちょっと待ってください! そこが分からないんですが、なんで僕が白鳥家に住むんですか!?」
僕が慌てて待ったをかけると、枯朝さんが気まずそうに頭を掻きながら咲夜ちゃんのほうを見た。
咲夜ちゃんは枯朝さんの視線を受けると、満面の笑みを浮かべて僕のほうに向き直る。
「光るちゃんがここの一員になるのにちゃんとした理由なんて無いよ。ただ私が一緒にいたいな〜、って思ったただけ。それでお父様とお母様に聞いてみたらいいって言ったんだ!」
僕はその言葉に清十郎さんと篠さんを軽くジト目で見る。
「かわいい娘の頼みを断れるわけが無いだろう」
「かわいい娘の頼みは無視できませんもの」
駄目だ。典型的な親馬鹿が入っているようだ。
清十郎さんですら表情をほころばせている。
「それに滅多に人となじまない枯朝が久しぶりに連れてきた子ですもの。遠慮なさらず暮らして下さいな」
どうやら誰も僕を拒んでいないらしい。
しかし、それは嬉しいのだが……旅を続けている僕なんかが本当に一つのところにとどまっていいのだろうか?
強い相手を探す旅の途中で一箇所に留まることは得策とは言えないだろうけど……枯朝さんという今までで一番面白そうな相手に出会えたし、ここにいればいつか勝負のきっかけがつかめるかもしれない、という意味ではここにいるのには十分なメリットがあるように思える。
かといって、安易に人の世話になるのも……
僕がそう悩んでいると、咲夜ちゃんが僕を覗き込んできた。
「……ダメなの……?」
「うっ……」
咲夜ちゃんは僕がここで拒んだら今すぐにも泣き出しそうな目をして僕を見てくる。
これでは僕も断れるはずがなく、
「……よろしくお願いします……」
気づいたら、そう言っていた。
その言葉に篠さんは微笑むと、食卓に並べられた食事を優雅なしぐさで指さした。
「さあそれでは食事にしましょうか」
その言葉を皮切りに、一同は食卓に並ぶ食事に手をつけ始めた。