剣の先に映るもの:六章



六章 道場を出ると、そこには篠さんが相変わらず全てを見透かしたような瞳で待っていた。
その手には何か袋にくるまれた棒状のものがある。
僕らはそこで一旦立ち止まると、篠さんに簡潔に事情を説明した。
すると篠さんは手に持った長いものを差し出して、言った。
「枯朝。自分で自分の道について何かを見つけるときが来たようですね。その先にあるものがどんなものかは分かりません。しかし、自分をひたすら信じなさい。あなたの見つけた道はだれも文句をつけられないあなただけのものです」
枯朝さんは黙って頷くと、篠さんの差し出した長いものを受け取る。
ゆっくりとその紐を解くと、美しい鞘の刀が姿を現した。
「これは……」
僕はその刀を見て驚愕する。
「ご想像のとおり、この刀は郷義弘さんの作品ですわ」
郷義弘。それは鎌倉時代に正宗十哲と呼ばれた刀匠の一人であり、その中でもひときわすぐれた技術を持った人物だった。
豊臣秀吉の部下であり七本槍の一人でもあった武将、加藤清正の使っていた肥後江なども彼の作品だ。
薬研通吉光で有名な藤四郎吉光と、名刀と呼ばれる正宗を鍛えた岡崎正宗と共に三作と証せられたほどの腕前だが、残念なことに現存する刀は見つかっていない。
そう思っていたのだが、今目の前にある。
「これはどこで手に入れられたのですか?」
急がなければならないと分かりつつも、僕は抑えきれない興味に駆られて篠さんに聞いた。
「今は秘密です。咲夜を助けて戻ってきたらお教えいたしますわ」
「でもよ、なんで真剣なんかもってくんだ?」
ある程度いつものような調子に戻った枯朝さんが聞く。
その質問に篠さんは口元に手を当てると、くすくすと笑った。
「女の勘、です」
「なんだそりゃ」
枯覇さんは呆れながらもしっかりとその刀を握ったまま走り出した。
僕も追いかけていこうとすると、後ろから呼び止められた。
「なんですか?」
僕が後ろを振り向くと、いつもの微笑を消し、真剣な表情で僕を見る篠さんがいた。
「……枯覇をよろしくお願いいたします」
ただそれだけの言葉に僕は無言で頷くと、背を向けて急いで枯朝さんのあとを追った。

枯朝さん。
あなたはこんなにもみんなに愛されているんですよ。

僕が裏山まで行くと、そこにはもう枯朝さんが到着していた。
そしてその目の前にいるのはいつかどこかで見たボキャブラリー不足の連中だ。
確か枯朝さんにはじめてあったとき、いいところ一つもなしで枯朝さんに負けていた。
そしてその後ろには――
「咲夜ちゃん!」
猿轡をかまされて、両手を後ろで縛られた咲夜ちゃんが木の幹に寄りかかっている。
少しも危機感を感じていなそうな顔で、きょろきょろと物珍しそうに周りを見ていたが、僕の言葉にこちらを向く。
「やっと来たのか。遅えじゃねえか」
不良のリーダーらしき男が一歩前に進み出てくる。
町などによくいるたいした実力もないくせにえらそうにしているタイプだ。
「咲夜を返してもらおうか」
枯朝さんは男を殺気の篭った目でにらみつけて言う。
男はそれに一瞬気圧されたようだが、すぐさま自分をとり戻し、その言葉を嘲る。
「当然返してやるよ。ただしお前を痛めつけたあとでな」
男の言葉に枯朝さんの方はすっと目を細くする。
「ほう、この前のでまだこりねえのか? 俺が手を出したら咲夜を殴るとでも言うんなら容赦はしねえぜ」
「心配すんな。そんなことしねえよ。それにそんな事しなくてもお前を痛めつける手段があるからな」
「……何?」
怪誘な顔をする枯覇さんをよそに、男が手を振るとそれを合図に男達の背後から真剣――というより、いわゆるどす――を持った男たちが出てくる。
服装からすると全うな職業についているようには見えない。
何せ黒服にサングラスという典型的な暴力団といったいでたちを全員がしているのだ。
しかし不思議なことにそこから受ける印象、とでもいうべきものは何故だかその道の関係者であるようには思えない。
しかも男たちの物腰から、全員がそれなりの実力を持った有段者であることが分かる。
それもおそらく剣道において最も強いとされる四〜六段だろう。
数の上では不良達の数とは比べようも無く少なく、四人だけだが、かといって侮れるような相手ではない。
「先生方、お願いします」
不良のリー.ダー各がそういうと男たちが無言で前に歩み出てくる。
「……ふん、屑は所詮屑か。人に頼らねえとなにもできねえのかよ。……光。手え出すなよ」
僕はその言葉に頷くと、一歩下がる。
これは枯覇さんの戦いだ。今は、今はまだ僕の出る慕ではない。
「一人でやるっていうのか?」
刀を持った男たちがその様子を見て驚きを見せる。
しかし枯覇さんはその言葉を鼻で笑った。
「貴様らみてえな雑魚は俺一人で十分なんだよ」
「ふむ……、自信のほうは一流のようだが……腕のほうはどうかな?」
男達も安っぽい挑発に乗ったりはしない。
むしろ内で見えない殺気が膨れ上がっていくのが分かる。
僕ですら彼らが出す威圧感を受けてわくわくし始めている。
「やっちまえ!」
不良のリーダー格らしき男の言葉を合図に男達が枯朝さんに切りかかる。
その一人ひとりの速度は並ではない。
しかし、枯朝さんもまた並の実力ではなく、男達にとっての誤算は、枯朝さんの実力に拮抗すら出来ないということだった。
枯朝さんは一歩引くと刀を抜き、多くの相手の中から一人の相手に狙いを定め、目にも留まらぬ遠さで相手の刀の腹を叩く。
衝撃に耐えられずに根元から折れ飛んだ刀身が木の幹に刺さる。
同瞬。半身をずらして一人目の斬撃を避ける。
返す刀でもう一人の男の腹に刀の背で痛烈な一撃を打ち込む。
相手は一瞬にして攻撃姿勢から防御の体制をとるが、その刀ごと相手を吹き飛ばす。
吹き飛ばされた男は後ろの木の幹に頭を強く打ち、昏倒してその場に崩れ落ちる。
一瞬のうちに二人を戦闘不能におちいらせた枯覇さんに男たちが驚愕する。
枯朝さんはその隙を逃さず男たちに切りかかる。
まさに圧倒的だった。
男たちの腕も素晴らしいのだが、ある決定的な違いが大きなカの差となっている。
それは男たちが学んだのは武道という枠内の剣道であるということに対して、枯朝さんが学んだのは生き残るための剣術であるということ。
枯朝さんの戦い方は剣道の其れではない。剣術なのだ。
枯朝さんの姿が一瞬、僕の祖父に重なって見えた。
今の枯朝さんには守るべきものが見えているに違いない。
僕は小さい頃、祖父が剣を振っているときは無心なのだと思っていた時期がある。
しかし、祖父の姿をずっと見ているうちに、それが大きな間違いであることがわかった。
剣を振るうときに浮かべているのは大切な人のこと。
自分が守りたいと思える全てのもの。
だから祖父は強かったのだ。
守るもののためには自分は負けるわけにはいかないのだから。
多分篠さんもそうなのだろう。
あの頃、祖父と篠さんが戦うことになる少し前、咲夜ちゃんの話と僕の記億によると白鳥家の当主は咲夜ちゃんたちの祖母だったはずだ。
そしてそのとき篠さんにとっての守るべきものだったものが枯朝さんと咲夜ちゃんだったんだ。
家の規律に縛られて生きる二人のために、自分が当主になることによって二人の境遇を変えようとしていたんだと思う。
そんな思いを抱きなから僕は枯朝さんの戦いを静かに見続けた。
やがて四人いた男たちは全員が戦闘不能に陥った。
いくつか受け損ねたかかわし損ねた刀傷から血を流しながらも、ゆっくりと枯朝さんは不良の男達のほうに向き直る。
「……次は貴様達だ」
「くっ、来るなああっ!」
リーダー格の男は、追い詰められ、懐から小さなナイフを取り出して後ろにいる咲夜ちゃんに突きつけた――
「くそっ、卑怯もんがっ!」
「そっ、それ以上近づくと……」
男は最後まで言葉を言い終えることが出来なかった。
「咲夜ちゃんに手を出すな。さもなくば、次は本当に斬る」
男達は何が起こったのかわからずリーダー格の男に視線を移す。
そこにあった風景は男達にとって信じられないものだったに違いない。
いつのまにか自分達のリーダーが先ほどまでただ戦いを鑑賞していただけの少年に気絶させられていたのだから。
僕は男達を睥睨し、気絶させた男をそのとりまきの不良たちに向かって放り投げる。
「二度と僕の前に現れるな」
言葉と共に僕の体からあふれた殺気があたりを支配する。
枯朝さんが出していたものとは別種の、殺人的な其れは武術の心得の無いものでも押しつぶされそうな威圧感を与える。
僕がそれだけいうと、不良たちは小さく悲鳴を上げて逃げていった。
彼らが完全にここからいなくなるまで見届けてから、僕は小さくため息をついて殺気を収めると、かがみこんで咲夜ちゃんの猿轡をはずしてあげた。
「……いくら枯朝さんに自分を取り戻させたいからって無茶しちゃ駄目だよ?」
「は? 無茶って?」
僕が咲夜ちゃんにかけた言葉に枯朝さんが怪訝そうな顔をする。
咲夜ちゃんは無邪気に笑うともぞもぞと体を動かす。
すると、縛られていたはずの両手があっさりと縄の呪縛から外れる。
その様子を見ていた枯朝さんは口をぽかんと開けて唖然とする。
「私だって白鳥家の一員なんだよ? これぐらい出来て当然じゃないの!」
そういうと咲夜ちゃんは小さくブイサインを作る。
「俺が一生懸命やったことは一体なんだったんだ……」
枯朝さんがため息をつくと、咲夜ちゃんは枯朝さんのそばに歩みよって、枯朝さんの両手を取って自身の胸にそっと当てた。
「お兄ちゃん、聞こえるでしょ? 私の心臓の音が。この命はお兄ちゃんの剣が守ったものなんだよ?」
そういうと、咲夜ちゃんは僕のほうに枯朝さんに気づかれないように目配せをしてくる。
僕は咳払いを一つついた。
「枯朝さん。あなたが咲夜ちゃんの命を救ったんです。枯朝さんの剣は守れるんですよ。枯朝さんの守りたいも
のを」
「俺の守りたいもの……」
枯朝さんはそう眩くと、まじまじと咲夜ちゃんを見つめた。
「え、え〜っと、お兄ちゃん……恥ずかしいんだけど?」
「……あははははっ!」
突然枯朝さんはいつもとは違う何もかもふっきった笑い声を上げると、咲夜ちゃんの頭をぐりぐりと撫でた。
「いたいいたいいたいよっ!!」
咲夜ちゃんが痛そうな、でもどこか嬉しそうな顔をする。
「……俺の守りたいものはお前だな、咲夜」
そういうと咲夜ちゃんをさらに強く撫でる。
僕はその様子を見て笑った。
本当に心のそこから笑った。
僕も短い間だが、白鳥家に来て変わったのかもしれない。
僕はここで失っていたものをひとつ取り戻せた。
それは何も気負うことの無い、ただ嬉しいから出来る、屈託のない笑い。
自分の気持ちに素直な感惰を出すこと。
こんな風に笑えたのは何年ぶりか分からない。
僕はひとしきり笑い終えると、枯朝さんのほうを向いて訪ねた。
「枯朝さん、見えましたか? 剣の先に映るものは」
僕の言葉に枯朝さんは晴れ晴れとした顔で答えた。
「当然だ」
「ちなみにそれはなんですか?」
僕も意地悪だなあ、と思いつつも、それをもう一度枯朝さんの口から聞きたくて問う。
まぁ、答えは決まっているんだけどね。
『咲夜ちゃんを守ること』
「塔馬光を倒すことだ」
ほら、やっぱり……って
「なんでですかああっ!?」
僕はその言葉にのけぞる。
すると枯朝さんはにやりと笑みを浮かべて答えた。
「決まってるじゃねえか。妹につく悪い虫から守らなきゃな」
「…………」
そういって枯朝さんは咲夜ちゃんを大事そうに自分の胸にぎゅっと抱きしめる。
悪い虫? 虫って……
「えええええええっ!?」
その言葉に僕は天まで屈きそうな絶叫を上げた。
枯朝さんのたくましい腕の中で、咲夜ちゃんは幸せそうに顔をほころばせていた。
本当に、幸せそうに……